ミサコ × カナエのよりみち

『セロ弾きのゴーシュ』

ミサコカナエ

きょうの寄り道

ゴーシュの先生って、ほんとうに楽長だったの?宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』を、夜ごと訪れる動物たちがゴーシュに足りなかったものを別々の角度から残していく物語として読む紹介対話。猫は感情が演奏に出る契機、かっこうは相手の音を聴く契機、狸は合奏のズレへの気づき、野ねずみは音楽が誰かに届くことへの気づきとして扱い、「本当の先生は楽長だけだったのか」という問いへつなげる。

📖 本文の手がかり

楽長の指摘

「ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。  ひるすぎみんなは楽屋に円くならんで今度の町の音楽会へ出す第六交響曲(こうきょうきょく)の練習をしていました。  トランペットは一生けん命歌っています。  ヴァイオリンも二いろ風のように鳴っています。  クラリネットもボーボーとそれに手伝っています。  ゴーシュも口をりんと結んで眼(め)を皿(さら)のようにして楽譜(がくふ)を見つめながらもう一心に弾いています。  にわかにぱたっと楽長が両手を鳴らしました。みんなぴたりと曲をやめてしんとしました。楽長がどなりました。 「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ。」  みんなは今の所の少し前の所からやり直しました。ゴーシュは顔をまっ赤にして額に汗(あせ)を出しながらやっといま云(い)われたところを通りました。ほっと安心しながら、つづけて弾いていますと楽長がまた手をぱっと拍(う)ちました。 「セロっ。糸が合わない。困るなあ。ぼくはきみにドレミファを教えてまでいるひまはないんだがなあ。」  みんなは気の毒そうにしてわざとじぶんの譜をのぞき込(こ)んだりじぶんの楽器をはじいて見たりしています。ゴーシュはあわてて糸を直しました。これはじつはゴーシュも悪いのですがセロもずいぶん悪いのでした。 「今の前の小節から。はいっ。」  みんなはまたはじめました。ゴーシュも口をまげて一生けん命です。そしてこんどはかなり進みました。いいあんばいだと思っていると楽長がおどすような形をしてまたぱたっと手を拍ちました。またかとゴーシュはどきっとしましたがありがたいことにはこんどは別の人でした。ゴーシュはそこでさっきじぶんのときみんながしたようにわざとじぶんの譜へ眼を近づけて何か考えるふりをしていました。 「ではすぐ今の次。はいっ。」  そらと思って弾き出したかと思うといきなり楽長が足をどんと踏(ふ)んでどなり出しました。 「だめだ。まるでなっていない。このへんは曲の心臓なんだ。それがこんながさがさしたことで。諸君。演奏までもうあと十日しかないんだよ。音楽を専門にやっているぼくらがあの金沓鍛冶(かなぐつかじ)だの砂糖屋の丁稚(でっち)なんかの寄り集りに負けてしまったらいったいわれわれの面目(めんもく)はどうなるんだ。おいゴーシュ君。君には困るんだがなあ。表情ということがまるでできてない。怒(おこ)るも喜ぶも感情というものがさっぱり出ないんだ。それにどうしてもぴたっと外の楽器と合わないもなあ。いつでもきみだけとけた靴(くつ)のひもを引きずってみんなのあとをついてあるくようなんだ、困るよ、しっかりしてくれないとねえ。光輝(こうき)あるわが金星音楽団がきみ一人のために悪評をとるようなことでは、みんなへもまったく気の毒だからな。では今日は練習はここまで、休んで六時にはかっきりボックスへ入ってくれ給(たま)え。」  みんなはおじぎをして、それからたばこをくわえてマッチをすったりどこかへ出て行ったりしました。ゴーシュはその粗末(そまつ)な箱(はこ)みたいなセロをかかえて壁(かべ)の方へ向いて口をまげてぼろぼろ泪(なみだ)をこぼし」
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「ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。  ひるすぎみんなは楽屋に円くならんで今度の町の音楽会へ出す第六交響曲(こうきょうきょく)の練習をしていました。  トランペットは一生けん命歌っています。  ヴァイオリンも二いろ風のように鳴っています。  クラリネットもボーボーとそれに手伝っています。  ゴーシュも口をりんと結んで眼(め)を皿(さら)のようにして楽譜(がくふ)を見つめながらもう一心に弾いています。  にわかにぱたっと楽長が両手を鳴らしました。みんなぴたりと曲をやめてしんとしました。楽長がどなりました。 「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ。」  みんなは今の所の少し前の所からやり直しました。ゴーシュは顔をまっ赤にして額に汗(あせ)を出しながらやっといま云(い)われたところを通りました。ほっと安心しながら、つづけて弾いていますと楽長がまた手をぱっと拍(う)ちました。 「セロっ。糸が合わない。困るなあ。ぼくはきみにドレミファを教えてまでいるひまはないんだがなあ。」  みんなは気の毒そうにしてわざとじぶんの譜をのぞき込(こ)んだりじぶんの楽器をはじいて見たりしています。ゴーシュはあわてて糸を直しました。これはじつはゴーシュも悪いのですがセロもずいぶん悪いのでした。 「今の前の小節から。はいっ。」  みんなはまたはじめました。ゴーシュも口をまげて一生けん命です。そしてこんどはかなり進みました。いいあんばいだと思っていると楽長がおどすような形をしてまたぱたっと手を拍ちました。またかとゴーシュはどきっとしましたがありがたいことにはこんどは別の人でした。ゴーシュはそこでさっきじぶんのときみんながしたようにわざとじぶんの譜へ眼を近づけて何か考えるふりをしていました。 「ではすぐ今の次。はいっ。」  そらと思って弾き出したかと思うといきなり楽長が足をどんと踏(ふ)んでどなり出しました。 「だめだ。まるでなっていない。このへんは曲の心臓なんだ。それがこんながさがさしたことで。諸君。演奏までもうあと十日しかないんだよ。音楽を専門にやっているぼくらがあの金沓鍛冶(かなぐつかじ)だの砂糖屋の丁稚(でっち)なんかの寄り集りに負けてしまったらいったいわれわれの面目(めんもく)はどうなるんだ。おいゴーシュ君。君には困るんだがなあ。表情ということがまるでできてない。怒(おこ)るも喜ぶも感情というものがさっぱり出ないんだ。それにどうしてもぴたっと外の楽器と合わないもなあ。いつでもきみだけとけた靴(くつ)のひもを引きずってみんなのあとをついてあるくようなんだ、困るよ、しっかりしてくれないとねえ。光輝(こうき)あるわが金星音楽団がきみ一人のために悪評をとるようなことでは、みんなへもまったく気の毒だからな。では今日は練習はここまで、休んで六時にはかっきりボックスへ入ってくれ給(たま)え。」  みんなはおじぎをして、それからたばこをくわえてマッチをすったりどこかへ出て行ったりしました。ゴーシュはその粗末(そまつ)な箱(はこ)みたいなセロをかかえて壁(かべ)の方へ向いて口をまげてぼろぼろ泪(なみだ)をこぼし」
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三毛猫との夜

「って顔もまっ赤になり眼もまるで血走ってとても物凄(ものすご)い顔つきになりいまにも倒(たお)れるかと思うように見えました。  そのとき誰(たれ)かうしろの扉(と)をとんとんと叩(たた)くものがありました。 「ホーシュ君か。」ゴーシュはねぼけたように叫(さけ)びました。ところがすうと扉を押(お)してはいって来たのはいままで五六ぺん見たことのある大きな三毛猫(みけねこ)でした。  ゴーシュの畑からとった半分熟したトマトをさも重そうに持って来てゴーシュの前におろして云いました。 「ああくたびれた。なかなか運搬(うんぱん)はひどいやな。」 「何だと」ゴーシュがききました。 「これおみやです。たべてください。」三毛猫が云いました。  ゴーシュはひるからのむしゃくしゃを一ぺんにどなりつけました。 「誰がきさまにトマトなど持ってこいと云った。第一おれがきさまらのもってきたものなど食うか。それからそのトマトだっておれの畑のやつだ。何だ。赤くもならないやつをむしって。いままでもトマトの茎(くき)をかじったりけちらしたりしたのはおまえだろう。行ってしまえ。ねこめ。」  すると猫は肩(かた)をまるくして眼をすぼめてはいましたが口のあたりでにやにやわらって云いました。 「先生、そうお怒りになっちゃ、おからだにさわります。それよりシューマンのトロメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。」 「生意気なことを云うな。ねこのくせに。」  セロ弾きはしゃくにさわってこのねこのやつどうしてくれようとしばらく考えました。 「いやご遠慮(えんりょ)はありません。どうぞ。わたしはどうも先生の音楽をきかないとねむられないんです。」 「生意気だ。生意気だ。生意気だ。」  ゴーシュはすっかりまっ赤になってひるま楽長のしたように足ぶみしてどなりましたがにわかに気を変えて云いました。 「では弾くよ。」  ゴーシュは何と思ったか扉(と)にかぎをかって窓もみんなしめてしまい、それからセロをとりだしてあかしを消しました。すると外から二十日過ぎの月のひかりが室(へや)のなかへ半分ほどはいってきました。 「何をひけと。」 「トロメライ、ロマチックシューマン作曲。」猫は口を拭(ふ)いて済まして云いました。 「そうか。トロメライというのはこういうのか。」  セロ弾きは何と思ったかまずはんけちを引きさいてじぶんの耳の穴へぎっしりつめました。それからまるで嵐(あらし)のような勢(いきおい)で「印度(インド)の虎狩(とらがり)」という譜を弾きはじめました。  すると猫はしばらく首をまげて聞いていましたがいきなりパチパチパチッと眼をしたかと思うとぱっと扉の方へ飛びのきました。そしていきなりどんと扉へからだをぶっつけましたが扉はあきませんでした。猫はさあこれはもう一生一代の失敗をしたという風にあわてだして眼や額からぱちぱち火花を出しました。するとこんどは口のひげからも鼻からも出ましたから猫はくすぐったがってしばらくくしゃみをするような顔をしてそれからまたさあこうしてはいられないぞというようにはせあるきだしました。ゴーシュはすっかり面白(おもしろ)くなってますます勢よくやり出しました。 「先生もうたくさんです。たくさんですよ。ご生ですからやめてください。これからもう先生のタクトなんかとりませんから。」 「だまれ。これから虎をつかまえる所だ。」  猫はくるしがってはねあがってまわったり壁にからだをくっつけたりしましたが壁についたあとはしばらく青くひかるのでした。しまいは猫はまるで風車のようにぐるぐるぐるぐるゴーシュをまわりました。  ゴーシュもすこしぐるぐるして来ましたので、 「さあこれで許してやるぞ」と云いながらようようやめました。  すると猫もけろりとして 「先生、こんやの演奏はどうかしてますね。」と云いました。  セロ弾きはまたぐっとしゃくにさわりましたが何気ない風で巻たばこを一本だして口にくわえそれからマッチを一本とって 「どうだい。工合(ぐあい)をわるくしないかい。舌を出してごらん。」  猫はばかにしたように尖(とが)った長い舌をベロリと出しました。 「ははあ、少し荒(あ)れたね。」セロ弾きは云いながらいきなりマッチを舌でシュッとすってじぶんのたばこへつけました。さあ猫は愕(おどろ)いたの何の舌を風車のようにふりまわしながら入り口の扉(と)へ行って頭でどんとぶっつかってはよろよろとしてまた戻(もど)って来てどんとぶっつかってはよろよろまた戻って来てまたぶっつかってはよろよろにげみちをこさえようとしました。  ゴーシュはしばらく面白そうに見ていましたが 「出してやるよ。もう来るなよ。ばか。」  セロ弾きは扉をあけて猫が風のように萱(かや)のなかを走って行くのを見てちょっとわらいました。それ」

かっこうとの夜

「。 「猫、まだこりないのか。」  ゴーシュが叫びますといきなり天井(てんじょう)の穴からぽろんと音がして一疋(ぴき)の灰いろの鳥が降りて来ました。床へとまったのを見るとそれはかっこうでした。 「鳥まで来るなんて。何の用だ。」ゴーシュが云いました。 「音楽を教わりたいのです。」  かっこう鳥はすまして云いました。  ゴーシュは笑って 「音楽だと。おまえの歌は、かっこう、かっこうというだけじゃあないか。」  するとかっこうが大へんまじめに 「ええ、それなんです。けれどもむずかしいですからねえ。」と云いました。 「むずかしいもんか。おまえたちのはたくさん啼(な)くのがひどいだけで、なきようは何でもないじゃないか。」 「ところがそれがひどいんです。たとえばかっこうとこうなくのとかっこうとこうなくのとでは聞いていてもよほどちがうでしょう。」 「ちがわないね。」 「ではあなたにはわからないんです。わたしらのなかまならかっこうと一万云えば一万みんなちがうんです。」 「勝手だよ。そんなにわかってるなら何もおれの処(ところ)へ来なくてもいいではないか。」 「ところが私はドレミファを正確にやりたいんです。」 「ドレミファもくそもあるか。」 「ええ、外国へ行く前にぜひ一度いるんです。」 「外国もくそもあるか。」 「先生どうかドレミファを教えてください。わたしはついてうたいますから。」 「うるさいなあ。そら三べんだけ弾(ひ)いてやるからすんだらさっさと帰るんだぞ。」  ゴーシュはセロを取り上げてボロンボロンと糸を合わせてドレミファソラシドとひきました。するとかっこうはあわてて羽をばたばたしました。 「ちがいます、ちがいます。そんなんでないんです。」 「うるさいなあ。ではおまえやってごらん。」 「こうですよ。」かっこうはからだをまえに曲げてしばらく構えてから 「かっこう」と一つなきました。 「何だい。それがドレミファかい。おまえたちには、それではドレミファも第六交響楽(こうきょうがく)も同じなんだな。」 「それはちがいます。」 「どうちがうんだ。」 「むずかしいのはこれをたくさん続けたのがあるんです。」 「つまりこうだろう。」セロ弾きはまたセロをとって、かっこうかっこうかっこうかっこうかっこうとつづけてひきました。  するとかっこうはたいへんよろこんで途中(とちゅう)からかっこうかっこうかっこうかっこうとついて叫(さけ)びました。それももう一生けん命からだをまげていつまでも叫ぶのです。  ゴーシュはとうとう手が痛くなって 「こら、いいかげんにしないか。」と云いながらやめました。するとかっこうは残念そうに眼(め)をつりあげてまだしばらくないていましたがやっと 「……かっこうかくうかっかっかっかっか」と云ってやめました。  ゴーシュがすっかりおこってしまって、 「こらとり、もう用が済んだらかえれ」と云いました。 「どうかもういっぺん弾いてください。あなたのはいいようだけれどもすこしちがうんです。」 「何だと、おれがきさまに教わってるんではないんだぞ。帰らんか。」 「どうかたったもう一ぺんおねがいです。どうか。」かっこうは頭を何べんもこんこん下げました。 「ではこれっきりだよ。」  ゴーシュは弓をかまえました。かっこうは「くっ」とひとつ息をして 「ではなるべく永くおねがいいたします。」といってまた一つおじぎをしました。 「いやになっちまうなあ。」ゴーシュはにが笑いしながら弾きはじめました。するとかっこうはまたまるで本気になって「かっこうかっこうかっこう」とからだをまげてじつに一生けん命叫びました。ゴーシュははじめはむしゃくしゃしていましたがいつまでもつづけて弾いているうちにふっと何だかこれは鳥の方がほんとうのドレミファにはまっているかなという気がしてきました。どうも弾けば弾くほどかっこうの方がいいような気がするのでした。 「えいこんなばかなことしていたらおれは鳥になってしまうんじゃないか。」とゴーシュはいきなりぴたりとセロをやめました。  するとかっこうはどしんと頭を叩(たた)かれたようにふらふらっとしてそれからまたさっきのように 「かっこうかっこうかっこうかっかっかっかっかっ」と云(い)ってやめました。それから恨(うら)めしそうにゴーシュを見て 「なぜやめたんですか。ぼくらならどんな意気地ないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ。」と云いました。 「何を生意気な。こんなばかなまねをいつまでしていられるか。もう出て行け。見ろ。夜があけるんじゃないか。」ゴーシュは窓を指さしました。  東のそらがぼうっと銀いろになってそこをまっ黒な雲が北の方へどんどん走っています。 「ではお日さまの出るまでどうぞ。もう一ぺん。ちょっとですから。」  かっこうはまた頭を下げ」

狸の子との夜

「ります。  今夜は何が来てもゆうべのかっこうのようにはじめからおどかして追い払(はら)ってやろうと思ってコップをもったまま待ち構えて居(お)りますと、扉がすこしあいて一疋の狸(たぬき)の子がはいってきました。ゴーシュはそこでその扉をもう少し広くひらいて置いてどんと足をふんで、 「こら、狸、おまえは狸汁(たぬきじる)ということを知っているかっ。」とどなりました。すると狸の子はぼんやりした顔をしてきちんと床へ座(すわ)ったままどうもわからないというように首をまげて考えていましたが、しばらくたって 「狸汁ってぼく知らない。」と云いました。ゴーシュはその顔を見て思わず吹(ふ)き出そうとしましたが、まだ無理に恐(こわ)い顔をして、 「では教えてやろう。狸汁というのはな。おまえのような狸をな、キャベジや塩とまぜてくたくたと煮(に)ておれさまの食うようにしたものだ。」と云いました。すると狸の子はまたふしぎそうに 「だってぼくのお父さんがね、ゴーシュさんはとてもいい人でこわくないから行って習えと云ったよ。」と云いました。そこでゴーシュもとうとう笑い出してしまいました。 「何を習えと云ったんだ。おれはいそがしいんじゃないか。それに睡いんだよ。」  狸の子は俄(にわか)に勢(いきおい)がついたように一足前へ出ました。 「ぼくは小太鼓(こだいこ)の係りでねえ。セロへ合わせてもらって来いと云われたんだ。」 「どこにも小太鼓がないじゃないか。」 「そら、これ」狸の子はせなかから棒きれを二本出しました。 「それでどうするんだ。」 「ではね、『愉快(ゆかい)な馬車屋』を弾いてください。」 「なんだ愉快な馬車屋ってジャズか。」 「ああこの譜(ふ)だよ。」狸の子はせなかからまた一枚の譜をとり出しました。ゴーシュは手にとってわらい出しました。 「ふう、変な曲だなあ。よし、さあ弾くぞ。おまえは小太鼓を叩くのか。」ゴーシュは狸の子がどうするのかと思ってちらちらそっちを見ながら弾きはじめました。  すると狸の子は棒をもってセロの駒(こま)の下のところを拍子(ひょうし)をとってぽんぽん叩きはじめました。それがなかなかうまいので弾いているうちにゴーシュはこれは面白(おもしろ)いぞと思いました。  おしまいまでひいてしまうと狸の子はしばらく首をまげて考えました。  それからやっと考えついたというように云いました。 「ゴーシュさんはこの二番目の糸をひくときはきたいに遅(おく)れるねえ。なんだかぼくがつまずくようになるよ。」  ゴーシュははっとしました。たしかにその糸はどんなに手早く弾いてもすこしたってからでないと音が出ないような気がゆうべからしていたのでした。 「いや、そうかもしれない。このセロは悪いんだよ。」とゴーシュはかなしそうに云いました。すると狸は気の毒そうにしてまたしばらく考えていましたが 「どこが悪いんだろうなあ。ではもう一ぺん弾いてくれますか。」 「いいとも弾くよ。」ゴーシュははじめました。狸の子はさっきのようにとんとん叩きながら時々頭をまげてセロに耳をつけるようにしました。そしておしまいまで来たときは今夜もまた東がぼうと明るくなっていました。 「ああ夜が明けたぞ。どうもありがとう。」狸の子は大へんあわてて譜や棒きれをせなかへしょってゴムテープでぱちんととめておじぎを二つ三つすると急いで外へ出て行ってしまいました。  ゴーシュはぼんやりしてしばらくゆうべのこわれたガラスからはいってくる風を吸っていましたが、町へ出て行くまで睡って元気をとり戻(もど)そうと急いでねどこへもぐり込(こ)」

野ねずみとの夜

「したが毎晩のことなのでゴーシュはすぐ聞きつけて「おはいり。」と云いました。すると戸のすきまからはいって来たのは一ぴきの野ねずみでした。そして大へんちいさなこどもをつれてちょろちょろとゴーシュの前へ歩いてきました。そのまた野ねずみのこどもときたらまるでけしごむのくらいしかないのでゴーシュはおもわずわらいました。すると野ねずみは何をわらわれたろうというようにきょろきょろしながらゴーシュの前に来て、青い栗(くり)の実を一つぶ前においてちゃんとおじぎをして云いました。 「先生、この児(こ)があんばいがわるくて死にそうでございますが先生お慈悲(じひ)になおしてやってくださいまし。」 「おれが医者などやれるもんか。」ゴーシュはすこしむっとして云いました。すると野ねずみのお母さんは下を向いてしばらくだまっていましたがまた思い切ったように云いました。 「先生、それはうそでございます、先生は毎日あんなに上手にみんなの病気をなおしておいでになるではありませんか。」 「何のことだかわからんね。」 「だって先生先生のおかげで、兎(うさぎ)さんのおばあさんもなおりましたし狸さんのお父さんもなおりましたしあんな意地悪のみみずくまでなおしていただいたのにこの子ばかりお助けをいただけないとはあんまり情ないことでございます。」 「おいおい、それは何かの間ちがいだよ。おれはみみずくの病気なんどなおしてやったことはないからな。もっとも狸の子はゆうべ来て楽隊のまねをして行ったがね。ははん。」ゴーシュは呆(あき)れてその子ねずみを見おろしてわらいました。  すると野鼠(のねずみ)のお母さんは泣きだしてしまいました。 「ああこの児(こ)はどうせ病気になるならもっと早くなればよかった。さっきまであれ位ごうごうと鳴らしておいでになったのに、病気になるといっしょにぴたっと音がとまってもうあとはいくらおねがいしても鳴らしてくださらないなんて。何てふしあわせな子どもだろう。」  ゴーシュはびっくりして叫(さけ)びました。 「何だと、ぼくがセロを弾けばみみずくや兎の病気がなおると。どういうわけだ。それは。」  野ねずみは眼(め)を片手でこすりこすり云いました。 「はい、ここらのものは病気になるとみんな先生のおうちの床下にはいって療(なお)すのでございます。」 「すると療るのか。」 「はい。からだ中とても血のまわりがよくなって大へんいい気持ちですぐ療る方もあればうちへ帰ってから療る方もあります。」 「ああそうか。おれのセロの音がごうごうひびくと、それがあんまの代りになっておまえたちの病気がなおるというのか。よし。わかったよ。やってやろう。」ゴーシュはちょっとギウギウと糸を合せてそれからいきなりのねずみのこどもをつまんでセロの孔(あな)から中へ入れてしまいました。 「わたしもいっしょについて行きます。どこの病院でもそうですから。」おっかさんの野ねずみはきちがいのようになってセロに飛びつきました。 「おまえさんもはいるかね。」セロ弾きはおっかさんの野ねずみをセロの孔からくぐしてやろうとしましたが顔が半分しかはいりませんでした。  野ねずみはばたばたしながら中のこどもに叫びました。 「おまえそこはいいかい。落ちるときいつも教えるように足をそろえてうまく落ちたかい。」 「いい。うまく落ちた。」こどものねずみはまるで蚊(か)のような小さな声でセロの底で返事しました。 「大丈夫(だいじょうぶ)さ。だから泣き声出すなというんだ。」ゴーシュはおっかさんのねずみを下におろしてそれから弓をとって何とかラプソディとかいうものをごうごうがあがあ弾きました。するとおっかさんのねずみはいかにも心配そうにその音の工合(ぐあい)をきいていましたがとうとうこらえ切れなくなったふうで 「もう沢山(たくさん)です。どうか出してやってください。」と云いました。 「なあんだ、これでいいのか。」ゴーシュはセロをまげて孔のところに手をあてて待っていましたら間もなくこどものねずみが出てきました。ゴーシュは、だまってそれをおろしてやりました。見るとすっかり目をつぶってぶるぶるぶるぶるふるえていました。 「どうだったの。いいかい。気分は。」  こどものねずみはすこしもへんじもしないでまだしばらく眼をつぶったままぶるぶるぶるぶるふるえていましたがにわかに起きあがって走りだした。 「ああよくなったんだ。ありがとうございます。ありがとうございます。」おっかさんのねずみもいっしょに走っていましたが、まもなくゴーシュの前に来てしきりにおじぎをしながら 「ありがとうございますありがとうございます」と十ばかり云いました。  ゴーシュは何がなかあいそう」

ミサコ × カナエの話

2人の感じ方です。本文に戻って、たしかめながら読んでみてね。

ミサコミサコ
ゴーシュって、最初は楽団でいちばん下手で、「表情がない」「ほかの楽器と合わない」って叱られてるんだね。
カナエカナエ
うん。でも、そのあと毎晩やってくる動物たちを見ると、ちょっと面白いんだよ。
ミサコミサコ
猫とか、かっこうとか?
カナエカナエ
うん。私は、みんな別々の形でゴーシュの先生になってるようにも読める。
ミサコミサコ
最初の先生、あの三毛猫?
カナエカナエ
猫は静かな曲を頼むんだけど、ゴーシュは怒って激しい曲を弾く。
ミサコミサコ
完全に八つ当たりじゃん。
カナエカナエ
そうなんだけど、楽長から言われた「表情がない」とは正反対なんだよね。
ミサコミサコ
あ。怒りがそのまま音になってる。
カナエカナエ
上手いやり方ではないけど、感情が演奏に出始めてるとも見える。
ミサコミサコ
じゃあ、かっこう先生は?
カナエカナエ
かっこうは、同じ「かっこう」でも一万回なら一万回違う、みたいに言うでしょう。
ミサコミサコ
ゴーシュは最初、そんなの同じだって笑ってる。
カナエカナエ
でも一緒に弾くうちに、鳥のほうが本当の音に合ってるんじゃないかって思い始める。
ミサコミサコ
自分が教えてるつもりだったのに。
カナエカナエ
いつのまにか、ゴーシュのほうが相手の音を聴き始めてるんだよね。
ミサコミサコ
次は狸の子。
カナエカナエ
狸はセロに合わせて叩いて、ゴーシュの音が少し遅れるところを見つける。
ミサコミサコ
それ、楽長に「ほかの楽器と合わない」って言われてたところじゃん。
カナエカナエ
そう。一緒に演奏した相手だから、どこでズレるのかが見える。
ミサコミサコ
猫が感情、かっこうが聴くこと、狸が合わせること。
カナエカナエ
そんなふうに並べると、毎晩ちがうところを揺さぶられてるんだよね。
ミサコミサコ
じゃあ野ねずみは何を教えるの?
カナエカナエ
野ねずみは、ゴーシュのセロの振動で動物たちの病気がよくなるって言う。
ミサコミサコ
急にセロが治療器になるんだよね。
カナエカナエ
でもゴーシュにとっては、自分の音が誰かに届いて、何かを変えていたと知る場面でもある。
ミサコミサコ
上手いとか下手とかじゃなくて?
カナエカナエ
うん。音楽が「誰かに届くもの」だって実感した、とも読める。
ミサコミサコ
じゃあ本当の先生って、楽長だけじゃなかったんだ。
カナエカナエ
私はそう思う。みんな自分の用事で来ただけなのに、ゴーシュに足りなかったものを一つずつ残していった。
ミサコミサコ
つまりゴーシュの家、夜だけ動物音楽学校じゃん。

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『セロ弾きのゴーシュ』

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