ミサコ × カナエのよりみち
『女生徒』
きょうの寄り道
「よいしょ」って言っただけなのに、朝から自分にダメ出し。太宰治『女生徒』の、布団を持ち上げるときの「よいしょ」に自分で驚く場面から始まる紹介対話。ミサコが小さな可笑しさを拾い、カナエが人の歩き方への批判や、読む本に影響される自分への反省につなげる。「反省の言葉も本で読んだ」という一文をきっかけに、笑っていた二人自身にも話が跳ね返る。考えがまとまる前の迷いや、自分へのツッコミを追って原文を読みたくなる入口。📖 本文の手がかり
「よいしょ」で気づく、思っていた自分とのずれ
「蒲団を持ち上げるとき、よいしょ、と掛声して、はっと思った。私は、いままで、自分が、よいしょなんて、げびた言葉を言い出す女だとは、思ってなかった。よいしょ、なんて、お婆さんの掛声みたいで、いやらしい。どうして、こんな掛声を発したのだろう。私のからだの中に、どこかに、婆さんがひとつ居るようで、気持がわるい。これからは、気をつけよう。ひとの下品な歩き恰好(かっこう)を顰蹙(ひんしゅく)していながら、ふと、自分も、そんな歩きかたしているのに気がついた時みたいに、すごく、しょげちゃった。」
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「蒲団を持ち上げるとき、よいしょ、と掛声して、はっと思った。私は、いままで、自分が、よいしょなんて、げびた言葉を言い出す女だとは、思ってなかった。よいしょ、なんて、お婆さんの掛声みたいで、いやらしい。どうして、こんな掛声を発したのだろう。私のからだの中に、どこかに、婆さんがひとつ居るようで、気持がわるい。これからは、気をつけよう。ひとの下品な歩き恰好(かっこう)を顰蹙(ひんしゅく)していながら、ふと、自分も、そんな歩きかたしているのに気がついた時みたいに、すごく、しょげちゃった。」
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読む本が変わるたび、自分の考えも変わる
「自分から、本を読むということを取ってしまったら、この経験の無い私は、泣きべそをかくことだろう。それほど私は、本に書かれてある事に頼っている。一つの本を読んでは、パッとその本に夢中になり、信頼し、同化し、共鳴し、それに生活をくっつけてみるのだ。また、他の本を読むと、たちまち、クルッとかわって、すましている。人のものを盗んで来て自分のものにちゃんと作り直す才能は、そのずるさは、これは私の唯一の特技だ。本当に、このずるさ、いんちきには厭になる。毎日毎日、失敗に失敗を重ねて、あか恥ばかりかいていたら、少しは重厚になるかも知れない。けれども、そのような失敗にさえ、なんとか理窟をこじつけて、上手につくろい、ちゃんとしたような理論を編み出し、苦肉の芝居なんか得々(とくとく)とやりそうだ。」
反省の言葉も本で読んだ――「本当の自分」はどれ?
「(こんな言葉もどこかの本で読んだことがある) ほんとうに私は、どれが本当の自分だかわからない。読む本がなくなって、真似するお手本がなんにも見つからなくなった時には、私は、いったいどうするだろう。」
ミサコ × カナエの話
2人の感じ方です。本文に戻って、たしかめながら読んでみてね。
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